私は今、とても寂しいと感じている。京都駅に大きく表示されている、桜の絵画にだ。ただ見るだけであれば、桜とどこか見覚えのある川を美しく描いたと感じる。
しかしその絵には注釈が添えてあった。
「この画像は生成AIにより作成しました」
この文言を見た瞬間から、私の内には悲しさが沸き、怒りに変わり、程なくして寂しさに変わった。
古の歴史のある京都。
その玄関口の最も目立つ位置に、京都の何処ともない、誰の作品ともない画像が鎮座しているのだ。
いくらでもあったであろう、加茂川の桜並木や高瀬川を覆う桜のトンネル。京都御所の見事な近衛桜も乙ではないか。
数えきれないほどいるであろう、京都から羽ばたく画家や芸術家、今は芸大生の画家の卵も良いではないか。
才能の塊と、息を呑むようなロケーションを数えきれないほど抱えている場所が「京都」という街であり、これは途轍もなく大きな財産であると言うのにも関わらず、ここで敢えて生成AIと来ることが、私は寂しくて、悔しくて仕方ない。
技術の進歩を否定するつもりは全くないが、京都の街の玄関口の役割を担う京都駅が、京都の街や人そのものを軽視したかのように感じる選択をしていることを、私はどうしても自分の胸の内に秘めておくことが出来ないのだ。
知り合いの人(写真を撮っています。宇治市民です。)