先月の初め、実家がある滋賀県の田舎に行きました。片道一時間ちょっと。実家に行くだけとは言え、そろそろ人生の半分を京都で過ごしてきたであろう私にとって、それは小旅行でもあります。

父やなじみの親戚に挨拶を済ませた後、いつも通り仏壇に、そしてご先祖様が眠る村の共同墓地へ移動して手を合わせます。村人全員が互いに顔見知りの小さな村ですので、村を出て十数年の私は、すっかりよそ者になってしまいました。知らないうちに私はよい年齢になり、それと同じだけ、みな歳をくっていました。

そんな私が見た春の田舎は、満開の桜。家の前には大きな桜の木、村の真ん中を流れる河には桜の花びらが流れ、お墓でさえも美しいピンク色に染まっています。
普段盆と正月に帰るきりの私にとって、十数年前に村を出た、その時以来の田舎の桜でした。

そこでふと疑問に思うのです。
”子どものころに見た桜は、果たしてこんなにも綺麗だっただろうか”


 
答えはとても簡単でした。それだけ年月が経ったのです。桜の成長は早く、生育環境が良い場合は2、3年で30センチメートルほど伸びるのだそうです。親の老いは進み、私はよそ者になり、桜がこんなにも美しくなるための充分な時間が過ぎたことに、今になって気が付きました。

片道一時間のちょっとした距離は、そんな大事なことにも気が付かないくらい遠いもので、小旅行のつもりが、さながらタイムスリップしたかのような壮大な旅でした。

この文章を書きながらぼんやりと、あの日田舎で見た桜の景色を思い出していました。

近いうちにまた実家に帰ろうかな。

知り合いの人(写真を撮っています。)

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